偉人伝 ~伊勢を想う人々~

古くから日本人を魅了してきた伊勢という町。その繁栄は多くの偉人たちによって支えられてきました。
ここでは、知られざる偉人たちにスポットを当て、この町の魅力を再発見していきます。

参詣客で賑わう伊勢を支えた江戸時代のタレント
間の山の女たち

2020.11.15

間の山で旅人相手に演芸をするものや、古市の遊女を「偉人」というには語弊があります。本人自身が、積極的に伊勢を想っていたかどうかも定かではありません。ただ、江戸時代、伊勢が大変な賑わいを見せていたときに、この町を支えるひとりの民であったことには間違いがありません。外宮から内宮へと向かうための道筋が、間の山という山道を通り、古市という歓楽街を抜けるしかなかった頃に、伊勢に暮らし、懸命に生きていた女性たちの姿を見てみましょう。

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2020.11.15

伊勢という町で、それぞれの立場を必死に生きた女性たちの生きざまを垣間見る

小田橋のたもとにある公園には案内板があり、この橋が歴史上どういう位置的役割を果たしていたかが説明されている。
『伊勢参宮名所図会』の間の山の頁には、お杉お玉と思われる女性たちが描かれている。(『伊勢参宮名所図会』より)
伊勢古市参宮資料館には、古市にまつわる貴重な資料が展示されている。
「油屋騒動」のあった妓楼、油屋で使われていた調度類。(伊勢古市参宮資料館所蔵)
中村勘九郎襲名時に名古屋御園座で公演された『伊勢音頭恋寝刃』のポスター。今に至るまで連綿と受け継がれている演目。(伊勢古市参宮資料館所蔵)
油屋お紺と殺傷事件をおこした孫福斎の比翼塚がある大林寺。細い路地の奥にある。

 江戸時代の伊勢は、現在私達が考えるよりずっと都会だったのかもしれません。一般庶民が、徒歩しか移動手段のない時代に、年間40万人以上(多い年は100万人)もやってくる憧れの土地だったのですから。それなりにおもてなしのハードやソフトが整っていたことでしょう。

 お芝居も盛んで、役者にとって伊勢で芝居に出ること、そして好評を得ることは、当時の大都市、江戸・大坂・京都で活躍するための登竜門だったといわれています。

 伊勢の町はそれだけ注目されている場所でした。

 伊勢への旅行ができること自体がステイタスだったし、旅行先としても不動の人気第一位といったところだったでしょう。この町の人気は、一度訪れた人の口コミで日本全国津々浦々まで広まっていきました。町全体が“おもてなし”気運に満ちた伊勢で、その一翼を担った女性たちについて、今回は見ていきたいと思います。

参詣客で賑わう伊勢を支えた江戸時代のタレント
間の山の女たち

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