偉人伝 ~伊勢を想う人々~

古くから日本人を魅了してきた伊勢という町。その繁栄は多くの偉人たちによって支えられてきました。
ここでは、知られざる偉人たちにスポットを当て、この町の魅力を再発見していきます。

繁盛していた妓楼を廃業し、公共事業に私財を投じた女傑
山田里登

2020.09.15

かつての伊勢・古市は、外宮と内宮を結ぶ参詣道にあり、国内屈指の繁栄をみた場所。多くの妓楼が立ち並び、精進落しの客で賑わい、当時の人が一度は行きたいと思い焦がれる場所でした。夫の故郷であったその町で、並々ならぬ商才を発揮した女性の、そのおもてなしの心に貫かれた一生を見てみましょう。

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2020.09.15

商才に秀でた江戸時代の女傑が追求したのは、伊勢人としての真のおもてなしの姿勢かもしれない

里登が、私財を投げうって改修工事をした牛谷坂。常夜灯から御木本道路までをいう。
大正3年、油屋によって作られた常夜灯。
黒門を構えて番所を設けていた宇治惣門の名を伝える黒門橋。
久世戸墓地にある山田家の墓。奥の左が里登夫妻のもの。
夫・市右衛門(左)と里登(右)の音物帳〈葬儀の詳細(役割や出納、式次第など)を記したもの〉。(昭和51年刊行『伊勢の古市あれこれ』〈三重県郷土資料刊行会〉より)
妓楼廃業後の貸衣装屋の看板。(皇学館大学 佐川記念神道博物館所蔵)

 妓楼という商売柄、大勢の働く女性を束ねるために、男主人より女主人のほうが全面に出ていたのかもしれません。千束屋の女主人・里登は、ビジネスに必要なアイディアをつぎつぎに実践し、一代で評判の大店を作り上げました。しかし、その後、人気の店をいきなり廃業し、参詣道である牛谷坂の大改修工事に私財を投じます。

 千束屋に残されていた書面には、主人・千束屋市右衛門の名が記されているにも関わらず、この功績が、里登のものとして語り伝えられていることは、彼女の夫がまた、妻・里登の才覚を信じ、よく立て、その想いを深いところで共有していたからにほかならないと思われます。町の繁栄こそが、家の繁栄につながると考えたふたりの熱い想いを感じずにはいられません。

繁盛していた妓楼を廃業し、公共事業に私財を投じた女傑
山田里登

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