偉人伝 ~伊勢を想う人々~

古くから日本人を魅了してきた伊勢という町。その繁栄は多くの偉人たちによって支えられてきました。
ここでは、知られざる偉人たちにスポットを当て、この町の魅力を再発見していきます。

皇室への献納など多くの栄誉を得ながらも、未だ知る人の少ない日本画家
中村左洲

2020.10.15

かつての伊勢は、京都との往来も多く、都の画壇の影響を色濃く受けていました。伊勢の四条丸山派の画家、磯部百鱗に師事した中村左洲は、明治中期から昭和まで、皇族方からも愛され、広く活躍した日本画家です。けれど、自身が活躍している画壇からも一歩身を引くようにして、伊勢市街からも離れた鄙・今一色で生涯を過ごしました。大好きな絵を描くことだけに没頭した少し不器用とも言える人生を紐解きます。

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2020.10.15

宮内庁や神宮から作品を請われるほどの腕をもちながら、生涯生まれ故郷を離れず活動を続けた神都の画人

気持ちよさそうに飛ぶ2羽のツバメ。「つばくろ」(賓日館所蔵)
昭和22年、74歳のとき描かれた「富士ケ嶺」(賓日館所蔵)
鮮やかに富士山を描きこんだ屏風絵。(賓日館所蔵)
作画中の左洲。喜寿のころ。『左洲画譜・下』より。(伊勢市立伊勢図書所蔵)
左:月夜の晩か。楽しげな「こうもり」 右:流れを白く描き残した「瀧之図」(2点とも賓日館所蔵)
左洲が使った落款の数々。『左洲画譜・下』より。(伊勢市立伊勢図書館所蔵)

 中村左洲という人は、周囲の好意がなければ画家にはなれなかったかもしれません。幼くして両親をなくし、一家のために働きながら絵筆を捨てないということは、よほど強い想いがあったに違いないけれど、多くの若者が自分の意志に関わらず、はかなく夢敗れてしまうのも、また現実です。

 左洲は、とても人がよく、周りの人が放っておけないようなタイプだったのではないでしょうか。彼の第一のターニングポイントは地元の有力者の目に止まり、画家・磯部百鱗への師事を勧められたこと。第二のターニングポイントはその師・百鱗から第4回内国勧業博覧会に出品を勧められたこと。彼は、自分の好きな絵を描けること、またそれを生業とできることに、どれほど幸せを感じたことでしょう。どんなに華やかな賞を取ろうとも、また名誉な機会に恵まれようとも、奢ることなく、故郷の風景や生物を描き続けたその心中を想像してみたいと思います。

皇室への献納など多くの栄誉を得ながらも、未だ知る人の少ない日本画家
中村左洲

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