平成11年、イセヒカリの種籾を静岡大学が遺伝子分析したところ、縄文時代に先行して日本に渡来した晩生の稲・熱帯ジャポニカの遺伝子を持つと判定されました。
日本列島に広まった稲は、この熱帯ジャポニカと弥生時代に渡来した温帯ジャポニカが交雑したものだと言われています。
イセヒカリの遺伝子の中には、日本の稲の歴史が畳み込まれており、皇大神宮ご鎮座二千年を記念する稲として相応しいものだということがわかりました。
また、通常より高い頻度で突然変異を起こすので、毎年〝初めての稲を作る″という気持ちで、原点に返った基礎に忠実な栽培が必要なイセヒカリ。
栽培の過程で有望な変種を発見するチャンスが訪れ、稲の品種改良に測り知れない貢献を果たすだろうとも言われています。
他にも、イセヒカリは、風や雨に強く倒れにくいという性質を持っています。
田植えしてしばらくは他の稲のように大きく成長しませんが、この初期の生育期に根は深く伸びて耐倒伏性を強めています。
平成11年に山口県を襲った台風18号、また平成16年の度重なる台風直撃の中、瞬間風速50.5mにも耐え、なぎ倒された他の稲を尻目に、イセヒカリは堂々と立っていました。
根元の節間が短く、茎が太いため、根の強さはコシヒカリの1.5倍と言われています。
また、最多収量は、10a当たりで700kgを超え、病気にも強いので低農薬栽培で育てることができます。
米質を分析した結果、イセヒカリは典型的な硬質米で「お寿司に向いている」ということが判明しました。
本格的な欧風料理のパエリアや、リゾットなどにも合うようです。
イセヒカリの純米酒の開発は、平成10年山口県産業技術センターで行われ、その結果期待を上回った見事な純米酒に仕上がり、飽きの来ない「食べてよし、飲んでよし」の米はイセヒカリ以外にないと、県内酒造業界に紹介されました。
杜氏は、イセヒカリを自ら生産し醸造するという動きになり、山口県の酒井酒造などでイセヒカリ純米酒が造られています。
また、伊勢之里のグループ会社であるヒカリ酒販では地元三重の酒蔵にイセヒカリの純米大吟醸酒の醸造を委託しました。
清流・宮川の上流で江戸末期から酒蔵を続ける元坂酒造で醸造した「納蘇利」や、銘酒の産地である名張市の瀧自慢酒造で醸造した「里慕音」を販売しています。
3.稲作の始まりと神事について
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稲作の始まりは、日本書記に描かれている天孫降臨で、天照大御神が孫であるニニギノミコトに斎庭の稲穂を与えたことが起源だと言われています。
そのため、伊勢神宮外宮で毎日行われている日別朝夕大御饌祭では、神様に神饌としてお米が捧げられています。
その米を創るのが神宮神田であり、また、伊勢神宮で最も重要なお祭り・神嘗祭では、神田でとれた新穀の大御饌が供えられます。
天皇が皇居内の水田でお育てになった稲の初穂も懸税(かけちから)として捧げられます。
このお祭は、垂仁天皇の皇女・倭姫命が伊勢国を巡幸された時、鶴が加えていた稲を大御神に捧げたことが始まりと言われています。
神嘗祭が終わると、皇室第一の重要な儀式である新嘗祭が行われます。
天皇が育てられた稲と、各県から献上された米と粟の新穀や御酒が神々に捧げられ、天皇ご自身も召し上がります。
新嘗祭は国家と国民の統合を象徴する神人共食の食儀礼でもあるのです。
「稲」は、「いのちの根」い・ねと言われるほど、古来より日本人の命を繋いできた大切な食物。
西洋食の需要が増え、農地が減っていく日本の農業危機に、神田で生まれたイセヒカリはまさに神様がお示し下さったものではないでしょうか。
【参考文献】
・伊勢神宮御神田で誕生した水稲品種「イセヒカリ」について改訂版 (山口イセヒカリ会)
・続「御饌 イセヒカリ」—イセヒカリのもつ多様性が日本農業の再生を導くー(山口イセヒカリ会)
・いせひかり伝説(小林農場)
・祈りの大地第6回(農業経営者46号)
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